品川拍子と品川神社

品川拍子(しながわびょうし)のはなし

今、弊社のホームページをご覧頂いている皆様は、品川拍子をご存知でしょうか。品川拍子とは、品川神社を中心とする北品川地域に、およそ130年の間、伝承されて来たお囃子です。

品川神社
東京十社および、東海七福神の一社である品川神社

毎年6月7日に近い金・土・日に行われる、千貫神輿(せんがんみこし)の渡御(とぎょ)で有名な品川神社例大祭、別名「北の天王祭(てんのうさい)」で演奏されます。


1987年(昭和62年)3月24日に、品川区教育委員会より『品川区指定無形民俗文化財』に指定されました。
現在は、品川拍子保存笛睦会が保持団体であり、地域住民の言わば宝物です。


品川神社の境内に立てられた案内板には下記の文章が記載されています。

品川拍子は祭礼時に神輿が巡幸する際の囃子となる音楽で、大拍子と呼ばれる締め太鼓と、俗称トンビといわれる篠笛によって演奏される。 その由来は定かではないが、品川神社太々神楽の系統に属するもので、三代将軍徳川家光 が品川神社に神輿を奉納された頃に始まったとつたえられ、品川宿 で成立し、当宿とその周辺地域にのみ伝承されている。
現在伝えられている品川拍子は、明治初年に嶋田長太郎 が集大成したものとされ、初代家元と考えられている。

千貫神輿の渡御で有名な「北の天王祭」は毎年六月七日に近い日曜日を中心とする三日間行われるが、このとき神輿の上げ下ろしや、揉んだり差したり納めたりの動作を品川拍子で指示するなど、他に類例を見ない特色をもっている。

平成十六年三月三十一日
品川区教育委員会
品川区 大崎 島田工作所

ここに記された「嶋田長太郎」というのが、実は弊社、株式会社 嶋田工作所の前身である「ブリキ屋 銅新」を設立した初代であります。


品川区教育委員会発行の『品川拍子の伝承とあゆみ』に寄れば、 太々神楽の「品川拍子」と祭礼囃子を取り入れて集大成、「品川拍子保存会」を発足し家元となったとのことです。


弊社には、当時の記録が無いため、この書籍が唯一当時を知る記録であり、なぜ嶋田長太郎が「品川拍子」にそこまで傾倒していたのかを知るすべはありませんが、「人の面倒を見ることで人との繋がりを大事に思い、人が集まることや、祭囃子の音色、音楽が好きだったのだろう」という想像に落ち着いています。


お祭りが好き、人との触れ合いが好きという血筋は代々受け継がれています。

 

この本は、品川区役所で販売中です。他にも関連書籍が販売されています。
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品川拍子を守る人々

家元時代の嶋田長太郎は、中山寅之助さん、山本二郎吉さん、石井万吉さん、伊藤栄吉さん、桜井桑太郎さん、伊藤治郎吉さんの6人の優れた弟子達に恵まれました。1937年(昭和12年)に長太郎が没した後は、6人の二代目が誕生、品川拍子継承に尽力されました。
6人それぞれが各地域で独立し、少しずつ違いはあってもそれぞれ味わいのある品川拍子が完成されています。

 

その品川拍子を「品川神社品川拍子保存笛睦会」「南品川のゆきわ會」、「北品川二丁目町会」「東品川一・三町会」をはじめとする地域町会の皆様が守って来られてこそ現在の強い繋がり、盛大な祭りが実現されています。


品川神社 末社 阿那稲荷神社

これほどまでに深く浸透しているもう一つの理由は、それを素直に一生懸命に引き継いで来た子供たちの力があると思います。毎年五月から大拍子の稽古が利田神社境内で実施され、小中学校生を中心に伝承されています。

 

明治時代の先人が作った文化を引き継ぐ子ども達がたくさんいる街は、私達の自慢のひとつです。

品川拍子の歴史など詳しくは、下記のHPをご覧ください。
威勢の良い写真もいっぱい掲載されています。

品川拍子の動画や視聴もあります。


南品川 ゆきわ會さん
http://yukiwakai.or2.ne.jp/index.htm

北品川二丁目町会さん
http://ichinokura.com/kitani.html

品川区/東海道品川宿のはなし 第20回